ぽぽコンプ(@popocomp)です。
インターハイ中止のニュースをみて、高2のとき高校中退することになった自分と重なる部分がありました。
中学校を不登校になったり、大学を中退するのとは違う特殊な思い(青春)が高校にはあります。
今回の記事は、「青春を失う」をテーマに思ったことを書いていきたいと思います。
高校生スポーツの祭典、全国高校総合体育大会(インターハイ)は26日、史上初の中止が決定。ウイルス感染拡大という人命に関わる危機の中、苦渋の決断だったが、頂点を目指してきた選手は「受け止められない」と悲痛な声を漏らした。
これ以外にも様々なマスコミがでニュースとして取り上げています。
Yahooニュースのコメント欄では大人たちから多くの同情が寄せられています。
私は青春は人生における特殊な期間だと思っているので、「次がある」「世界は広い」「前を見て」という声が虚しい励ましだなと感じてしまいます。
青春に次は無いし、狭いのが青春だし、前を見ても未来は大人の姿しかない。
この青春を失うことがどれだけ悲しくて辛いことかと思うのです。
だから、青春を失った悲しみを励ます言葉はない。
苦しみから救われることもなく、苦しみを違う何かで包んで大人になるしかないのです。
また、アスリート候補の優秀な高校生の思いばかりが注目されていますが、青春を失っているのは休校を余儀なくされている学生全てです。
1か月が、1週間が、1日が、1時間が、1分が、1秒が青春になるのです。
私がこんなにも青春を持ち上げるのは、自分自身が青春を失った過去があるからです。
私は中1の時にいじめを受け、以降自分を押し殺して縮こまって残り2年間を過ごしました。再び目をつけられないように。
部活に励み、クラスメイトと談笑し、勉強に追われる…一般的な青春を高校生の自分に期待していました。
期待していたからこそ、失ったときの悲しみは大きくなりました。
高1から自律神経の調子が狂い始めます。
高2になった頃には全く朝に起きられなくなり、昼休みに登校するようになりました。
学校はいい事ばかりでは無かったものの、上に書いたような一般的な青春はありました。
学校に行くと楽しいのに、朝起きられないのです。
寝坊する私を母は叱咤しました。一般的なしつけの範疇だと思います。
私は母にとって良い娘になれない自分が悔しくてうつ状態になりました。
腕を切るアームカットと頭痛薬を1シート飲む自傷行為を始めるようになりました。
楽しかった学校もうつ状態のため不登校になりました。
グアムへの修学旅行はキャンセルされ、留年が決定し、私は青春を失いました。
高校中退をしたあと、通信制の高校に編入し卒業、入学した短大ではカナダに1か月間短期留学をしたりもしました。
この話を他人にすると「よく取り戻したね」と言ってもらうこともあります。
でも、青春を失った苦しみは消えなかったです。
私が取り戻したのは青春ではなく、青春時代じゃなくてもできる物理的な事だったんですね。
15歳~18歳のあの頃の青く淡い感情は取り戻せないのです。
19歳の自分で同じことやそれ以上のことをやっても何か違う。
ああ、青春を失ったことが私の青春だったんだなぁと思いました。
中退後働いていたスーパーには同い年の人間が集まって団体行動をする文化はないし、学年のように年の差だけで上下関係が成り立つとは限りません。
学校みたいにサボったり居眠りすることは許されないし、関係のない分野の勉強はしない。
大人の世界は合理的で過ごしやすかったけれど、学校独特の不自由な空間に17歳・18歳の自分を置いておきたかったのです。
以上が私の経験です。
現在、コロナ禍は高校生から青春を奪い続け苦しめています。
人それぞれ自分の青春があると思いますが、理想の青春時代を送られなかったことと、青春そのものを失ったのとは異なると思っています。
目の前にあるはずの青春を奪われる悔しさは大人になっても拭いきれないと思います。
ただ、その悔しさはバネになります。
その傷は今後の経験に生かされます。
羨ましいなと思うのは、同じ苦しみを味わった仲間が多いことです。
それ故に、たくさんの大人が理解を示していることも羨ましい。
張本氏は「残念ですねえ。胸が痛いわねえ。人生で1番、17、18歳っていうのは青春じゃないの。1番の思い出の時にね、こういう事態だから、病菌のためだから自分の運命だと思うしかないわねえ」と残念そうに話した。
1人で苦しむより確実に心強い。
こんなことで苦しいのは自分だけだと思うときほど苦しいものはありません。
それほど青春の喪失感というものは大きく、心の中にわだかまりを残します。
失うことを知っている人は大切にするべきものを知っています。
苦しみを上手く包み込んで、大人になってほしいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。